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ため息しか出ない

でたらめな事ばかり言う安倍首相を、誰か黙らせて下さいよ。
国民の生命を守るための集団的自衛権?
国民の生命を守るため、なら個別的自衛権でしょうが。
「国民の生命を守るため」と繰り返せば国民を騙せると思っているよね。

米国と一緒に軍事行動するとどうなるか。
日本がテロの標的、攻撃対象になって、 逆に日本国民の安全や生命が脅かされる。
そんなこと誰だって分かる。

国会では
「結論からいうと、そういうことにはなりません」
とか答えたらしいけど、よくそんな事軽々しく言えるよね。
そう断言できる「根拠」を教えてほしいよ、まったく。

イラク戦争についても、
「イラクが大量破壊兵器がない事を証明できなかったのだから、
イラクが悪いということは申し上げておきたい」
というような事を言ったんだってね。

もうさ、なんでこんな人が日本の総理大臣やってるの?
絶望的な未来しか見えないんですが。
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天皇論/秋篠宮が天皇になる日

「天皇論」第11章を読んでみると、
保阪正康氏が書いた文藝春秋の記事「秋篠宮が天皇になる日」を
徹底的に批判している。(侮辱しているといったほうがいいかも)

きっとこれを読んだ読者は、
「保阪はでたらめばかり書く奴だな。信じられん」とか、
「知識人を完全に論破するよしりんは凄い」とか、
そんな風に思うのかな。

でも、実際に保阪氏の記事を読んだ人ってどれくらいいるんだろう。
読みもせず小林氏の主張を鵜呑みにしてしまう人が大半なんだろうな。

そこで、その文藝春秋の記事(2009年2月号)を図書館でコピーして、
家でじっくりと読んでみた。

これを読むとよく分かります。
小林氏がどれだけいい加減なことを書いているか、が。

「天皇論」を絶賛する人たちは絶対に読むべきだね。
そして現実を知ろう。


小林氏は「天皇論」でこう書いている。
保阪は皇太子と秋篠宮の人格を比較して、要約すると「秋篠宮の方が優れているから天皇陛下がお悩みになっている皇統の行方を解消するには、いっそ秋篠宮の方が次の天皇に相応しいんじゃないかしら?」と勝手な願望を書いてるだけ。(178頁)

でたらめです(笑)

まず、この保阪氏の記事には、

◯皇統の行方を解消するには‥‥、などという話は、一切ない。
◯秋篠宮が天皇になれば皇統の行方が解消される、という話も一切ない。
◯それどころか、
「悠仁さまの代になると、皇族が他にいなくなってしまう」
「とても陛下が皇統の将来に安心なされる状況にはなっていない」
と、正反対の言葉が書かれている。
◯次の天皇に相応しいのはどちらか、などという意味のことも一切ない。

記事にはこう書いてある。
◯天皇に万が一の事態が生じれば、皇太子が天皇になり、秋篠宮が皇位継承順位第一位、悠仁親王が第二位となる。悠仁親王が皇太子となるのは、父である秋篠宮が天皇になったときである。近代皇室が経験したことのない皇統の移動が現実になるのだ。

◯現在、秋篠宮は依然として皇位継承順位第二位の存在である。皇太子が即位すれば、次の天皇候補として備えなければならない。

次の天皇には皇太子ではなくて秋篠宮がいい、などとは言っていませんね。
皇太子が天皇になったら次の皇位継承者は秋篠宮だ、と言っています。

何をどう読んだら小林氏のような要約が生まれるのか、理解不能です。
このような事が延々と続きます。

皇太子殿下がマイホーム主義で皇統に対する責任感が薄いとか、雅子妃の病気は祭祀に関心がないからだとか勝手に憶測し、憶測を元に、皇太子を排除して「秋篠宮が天皇になる日」が来るかのような記事をでっち上げているのだ。(178頁)

えっと
「皇太子はマイホーム主義」?
そんなこと、どこに書いてある?
会見で具体的なのは「家族に関するくだりばかり」としか書いてないけど。

「雅子妃の病気は祭祀に関心がないから」?
まったくもって理解不能。
雅子妃と祭祀がどうこうなんて一切書かれていない。
(病気と祭祀の関係とか、関心があるとかないとか、そんな記述も一切なし)
不思議だ。小林氏は幻覚でも見たのか?

そして、「皇太子を排除して」秋篠宮が天皇になるかも、
などという意味の事は、(上にも書いたように)どこにも書いてない。

勝手な憶測を書き、それを元に記事をでっち上げているのは
どう見ても小林氏の方なんですけど。


天皇にふさわしい品格があるのは皇太子か秋篠宮かなどという論議(180頁)

言動やら性格やらの比較はしますけど、
「どちらが天皇にふさわしいか」などという話はしていません。

保阪は、皇太子が公務のどれを減らそうなんてことを「具体的に」「自らイニシアティブをとって」言えると思っているのだろうか?(180頁)

これを読むと、まるで保阪氏が皇太子に対して
「自らイニシアティブをとって、具体的な公務削減案を示すべき」
とでも提言しているかのような書き方だよね。

でも、全然ちがいます。

小林氏は「具体的に」という語句を「どれを」にかけているけど、
保阪氏が書いた秋篠宮の「具体的に」は、
ある期間における「天皇の公務の負担」を具体的に説明した、と書いたわけで、
秋篠宮が公務のどれを減らそう、と具体的に言ったわけではありません。

さらに言うと、秋篠宮は
公務の数を減らすのは難しい
「分担も難しい」
「公務の中身を変えて負担軽減につなげていけるのでは?」
というような事を語っています。

秋篠宮は
「私たちが(略)陛下のお仕事の全体量を把握しているのか」
「私も少し調べてみよう」
「これから私たちも把握していくように努めていきたい」
というように、いう踏み込んだ発言をする。

対して皇太子は
「周囲が考える必要がある」「周囲が陛下とよくご相談しつつ」
と「どこか他人事のようなニュアンス」だと書いている。

つまり保阪氏が言うのは、
皇太子自身はどう考えるのか、具体的に言わないし、
自らはどうするのか、という積極性も乏しい、ということです。

元記事を読めば、誰でも分かります。
「具体的に」「自らイニシアティブをとって」どれを減らそうと言え、
という意味ではないことぐらいはね。

保阪は秋篠宮の方がいいなどと言う。(181頁)

大嘘です。
繰り返しますが、そんなこと一言も言っていません。

保阪が皇太子を貶め、秋篠宮を推す理由は「戦争」に対する姿勢の違いらしい。秋篠宮は先の大戦を反省する気持ちが強く、その言葉を皇太子より明確に述べられるから天皇にふさわしいと言いたいのだ。
要するに保阪は(略)都合がいい方を天皇にしたいという、ただそれだけの私情なのだ。(183頁)

秋篠宮は先の大戦を反省する気持ちが強い?
秋篠宮は大戦を反省する言葉を明確に述べる?

いやぁ、何度も何度も保阪氏の記事を読み直してみましたが、

どこを読んでもそんな箇所はありません!

対馬丸沈没の日や、原爆の日、終戦日、沖縄戦終結の日には、
必ず犠牲者の冥福を祈り黙祷をする、という姿は紹介している。
そして、天皇の戦争犠牲者への「追悼と慰霊」を継承しようとする姿勢がある、
とは書いてありますが、
(ちなみに小林氏は、天皇の慰霊に対する真摯な姿に感動の涙を流す。150頁)
反省する気持ちや反省する言葉などは、どこを探してもありません。

だいたい「戦争に関連した秋篠宮のコメント」自体ないというのに、
「大戦を反省する言葉を明確に述べる」などと言い出すなんてさ、
もう私にとっては理解不能なんですけど。

わしにとっては、先の大戦の評価など、天皇に軽々と口にしていただいては困るのだ。(183頁)

困るだろうね、小林氏とは考え方が違うだろうから(笑)

歴史家のはずの保阪は、先の大戦の評価まで、天皇の「聖断」を仰ぎたいのか? よく恥ずかしいと思わないものだ。(185頁)

勝手にどんどん話が飛躍していきます(笑)
「先の大戦の評価云々」なんて話は、この記事には一切ありません。

保阪氏は、天皇のサイパン訪問での黙祷に深い感銘を受けたそうです。
(同じく小林氏もその真摯な慰霊への姿に感動の涙を流す。150頁)
秋篠宮はその天皇の志を継承しようとしていると書いているだけなのに、
なぜ突然「天皇の聖断を仰ぎたいのか?」などと言い出すのか。

保阪は天皇や秋篠宮に「先の大戦の評価」をさせたがってる、と
勝手に妄想し、その妄想を根拠にして「恥を知れ」などと批判する。

もう笑うしかないのでしょうか・・・。

個人の人格が気になって、皇太子よりも秋篠宮に皇位を禅譲されよと勝手に妄言並べ立て(185頁)

「皇太子よりも秋篠宮に皇位を」ってさぁ、
どこをどう拡大解釈しても、そのように受け取れる箇所はない。

勝手な妄言を並べ立てているのは小林氏じゃないの?



恐らく、ほとんどの読者は「保阪記事」の現物を実際には読まない。
そして「天皇論」に書いてあることを信用して、
保阪氏はでたらめばかり書く奴だと思い込む。
だけど、ホントはそうじゃない。

小林よしのりという人は、たった10ページほどの記事でさえ、
これほどまでに事実と違う話を勝手に作り上げてしまう

また、前回記事の天皇号成立時期のように
それが少数意見だろうがおかまいなしに、
それを歴史的事実であるかのように紹介して通説は無視する。
(もちろんその好みの意見のみを参考文献として採用)

こういう事を平気でするんですよね。
とてもまともな人とは思えないし、まともな本とも思えない。

この本は「」なんです。

まだまだ続く。
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天皇論/天皇号の成立

この「天皇論」では、天皇号の成立時期は推古朝の頃だと断定している。
「天皇」号成立の推古天皇(608年)から…(38頁)
「王」が「天皇」になった推古朝の頃から…(346頁)
天皇号の成立と同時期、すなわち推古天皇、聖徳太子の時代…(348頁)

普通の読者は、特に気にする事なく読み進めるのかな。
「へぇ〜、そうなんだぁ、勉強になるなぁ」などと思うかもしれない。
参考文献としてあれだけずらっと並べてあると、
きっと凄く調べてあるのだろうと思うかもしれない。

極めつけはこれ。
(聖徳太子は)国書にはこう記した。「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」そしてこれが最も重要なことだが、ここで、わが国で初めて「天皇」の名称が登場したのである!(289頁)

と叫びドーンと「天皇」の文字。
次の頁では全1頁使って聖徳太子の絵。
そして「王を拒否した自前の称号を入れたのだ!」

さらに次のページでこう言う。
こうして日本に「天皇」の称号が成立した。「天皇」とは、シナの冊封体制を抜け出した自主独立の国の君主であると宣言する称号だったのである!

いや〜素晴らしい、見事なストーリーです。

でもね、聞いて驚かないでね、
現在の通説では

天皇号の成立時期は、天武朝なのです!

戦前は推古朝説が有力視されていたみたいだけど、
現在は推古朝説を主張するのは高森明勅氏など少数で、
天武・持統朝説とみるのがほぼ定説になっている。
少し調べればすぐ分かる。

現在では天皇の称号は天武天皇が始めたとする説が広く支持されており、非常に有力となっている。
(Wiki)

かつては7世紀前半の推古朝と考えられていたが、現在では天武朝末期において制定されたとする見解が有力になっている。
(Yahoo百科事典)

◯1998年、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から「丁丑年(677年)」と書かれた木簡と一緒に「天皇」の文字のある木簡が出土。これは「天皇」と書かれたもっとも古い文字資料。それより早く7世紀初頭の仏像光背銘や「日本書紀」の記事に天皇号がみえるのは、後世の追記や書き換えとする説が現在有力である。
(MSN百科事典)

推古朝説では「隋書」が言及する君主号は天皇号ではなくて天子号であり、「日本書紀」(8世紀の編纂史料)の記事に依拠せざるを得ないという点が弱い。現在のところもっとも支持を得ているのが天武朝説である。
(「天皇・天皇制を読む」東京大学出版会)

補足:①「東の天皇‥‥」の記述は隋書にはなく、日本書紀のみ。②日本書紀は、遣隋使から100年以上経過した720年に完成。

どうでしょうか。
小林氏が「天皇号成立は推古朝である」と断定している記述は、実は、

単なる「その他の説」

にすぎないということ。

それをまるで「歴史的事実」であるかのように書いて、
現在有力となっている説を完全に無視しているということ。


すごいことをやってますね。

ではなぜ推古朝にこだわるのか。
それは上に書いてあるように、聖徳太子を
智略によって、日本をシナから独立させるという歴史的偉業を達成した偉人(291頁)

に仕立て上げて
「天皇」とは、シナの冊封体制を抜け出した自主独立の国の君主であると宣言する称号だった(292頁)

という都合のいいストーリーを作りたいから。
小林氏にとっては、なんとしても推古朝説でんだね。
天武朝だと小林氏のせっかくの妄想(289〜292頁)が崩壊してしまうからね。

だからね、巻末にいくら参考文献をずらりと並べて見せたとしても
「きちんと調べてあって、正しいことが書いてある」のです。
そこにあるのは小林氏にとって都合のいい文献。
参考文献の数に惑わされて、小林氏の極端な独自解釈(願望や妄想)を
「歴史的事実」とか「正しい情報」などと勘違いしてはいけません。

でも、そういう人多いんだろうなぁ・・・。


たとえば、
A説を支持する人が9人、B説を支持する人が1人という状況で、
A説の9人を無視して(まるでそんな意見は存在しないかのように)
Bである! と断言して、それを元に話を進める・・・

こういう事をする人をあなたは信用できますか?

この「天皇論」という本は、そういう本なんですよね。
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天皇論/権威主義

小林氏は「反権威」という立場らしい。
反権威と言っても、「権威」がこの世に一切なかったら、社会は無秩序になってしまう。 あくまでもわしは「形骸化した権威」に反対するのであり、「権威主義」が嫌いなのだ!(8頁)

わしは真に必要な「権威」は否定しない。だが「形骸化した権威」は必要ないし、なにより「権威」に無条件ですり寄って、「権威」のないものを馬鹿にする「権威主義」というものが大嫌いだ!(22頁)

わしが否定しているのは「形骸化した権威」であり、さらに権威を振り回す「権威主義」である。(343頁)

えーっと‥‥、つまり小林氏は「形骸化した権威」は否定するけど、
「真に必要な権威」(=天皇)にはすり寄る

権威主義者ってことですね。

これだけ徹底的に「天皇という権威」を振り回しているのだから
立派な権威主義者ですよね。いったいどこが「反権威」なんだろ。


小林よしのりという人は、
戦前を肯定し、先の大戦を肯定し、
天皇への一途な思いがあるとして、割腹自殺した右翼を好意的に紹介し(85頁)
「果たして自由とはそんあにありがたい価値なのか?」(313頁)
国民主権は「危険な思想」(256頁)で「有害無益」「愚の骨頂」(257頁)と言い、
現憲法よりも「明治憲法の方がよっぽど健全」(261頁)と考え、
今の憲法を否定する!(366頁)
と宣言する人なんですよね。

こんな極端な考え方をする人(いわゆるウヨク)が、
読者に天皇を崇拝させようとして一生懸命書いた本が「天皇論」。
右翼の最大の目標は、天皇崇拝、天皇中心の国をつくることですからね。

この「天皇論」という本は、
名の知れた漫画家が勉強して書いた本、というより
右翼が自らの主張を漫画にしたもの、と考えるべきじゃないですか。

この本に書かれている天皇は、小林氏にとって都合のいい天皇。
中立的・公平な立場で書かれたものではありません。

しかもね、これだけ「権威」を振り回し、天皇を賞賛し、
天皇を信じるとか、敬意を払うのが当然などいいながら、こうも言う。
(小林氏は憲法改正賛成派だから)
もし天皇が憲法改正反対を明言なさったらわしは逆賊になる!(366頁)
(国旗国歌は「強制でないことが望ましい」とする天皇に反対だから)
逆賊の汚名を着るかもしれんなぁ(368頁)

自分の考えに合わない時は「逆賊になる」ってさぁ、結局、

自分に都合のいい「権威」を利用してるだけじゃん。

自分の考え方に合う「権威」は賞賛し、
自分の考え方に合わない「権威」は否定する。
たちの悪い「権威主義者」だね。

さらに小林氏は、
天皇が政治に口出しできないことをいい事に、
天皇の内心を自分の都合のいいように勝手に憶測で決めつける。
(↑これは後で別に書く予定)

戦前の軍部もこんなことやってたよね。

そういう人間が、あらゆる手を使って、
読者を天皇崇拝へ向かわせようとしている本
という事を意識して読まないと、簡単にコロッといっちゃいます。

そうならないために、この本を批判していきたいと思います。


■一応、私の立場を書いておきます。

私は「天皇論」の批判はしますが、天皇制に反対ではありません。
まして天皇制廃止など考えたこともありません。
私は日本史大好き人間です。教科書にはたくさんの天皇が登場します。
だから日本には天皇がいることが当たり前という感覚です。
百人一首もほぼ全て覚えたこともありました。

今の天皇にも親しみを感じていますし、
この先も日本に天皇という存在はあり続けるものだと思っています。

が、

天皇は神につながる存在である、とか
天皇の祖先は神であり、ずっと続いている、などと言って
日本人なら天皇を尊敬しなければならない、尊敬すべきである、

と、敬意を強制するような主張には反対します。
個人崇拝を強要される世の中はご免です。
どこかの国じゃあるまいしね。
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天皇論/君が代の意味

突っ込みどころ満載で、何から書こうかと迷うぐらいの「天皇論」。
最初だから序章からいきますか。
序章では君が代の意味について書いてある。
(P8)
大きな大きなわしの過誤があった。君が代の「君」を「天皇」限定だと思い込んでいたことだ。(中略)実は「君が代」は、古代から人々に愛誦され、江戸時代には相当広範な一般庶民が、自分の敬愛する人の長寿を祈る歌だったのであり、「君」は特に天皇に限定される意味ではなかった。わしはこの事実を全然知らなかった。

(P9)
わしが小学生の頃、すでに教師は日教組の活動をしていたようだ。ある日、担任の教師から「君が代」の意味を教わった。「君が代」というのは天皇の代のことたい。天皇の代が何千年も続きますようにという意味なんやぞ。

(P18)
「君が代」の歌詞の意味を高森明勅氏の著書、『天皇から読みとく日本』から説明しておこう。
「君が代」の原歌は古代にまでさかのぼるが、初見は延喜5(905)年、醍醐天皇の勅命で撰進された『古今和歌集』である。これは『古今和歌集』の「賀歌」に「よみ人しらず」で出てくる。賀歌とは長寿を祈る歌だ。
私の敬愛する人よ、千年も八千年も、小さな石が巨岩となって、さらにその表面を苔が覆うようになるまでの永い歳月を、どうか息災でいてください
…という意味で、「わが君」は「天皇」という意味ではない。自分にとっての敬愛すべき相手だ。

(P19)
この賀歌を国歌にしたのは、もちろん明治になってからである。

小林氏は
「君が代」の「君」を天皇限定と思い込んでいたのは大間違いで、
古今和歌集にある原歌のわが君は天皇という意味ではないから、
それを国歌にしたのだから「君が代」の「君」は天皇ではない。
これは自分の敬愛する人の長寿を祈る歌だ。
と主張したいみたいです。
というか読者にそう思わせたいようですけが・・・

騙されてはいけません


■古今集の原歌の解釈

「天皇という意味ではない」となぜ断言できるのだろう。
「わたしの敬愛する人のことだ」となぜ断言できるのだろう。

「わたしの敬愛する人」=「天皇」という可能性を完全排除ですか?
ちょっとおかしくなですか?

『古今和歌集』は醍醐天皇の勅命で編まれ、醍醐天皇に奏上されたものです。
それなのに、この「君」はあなた様のことではありませんって?

ちなみに
『古今集』序文仮名序に「をおもひ、をもいはひ」と説明され、
同じく真名序に「陛下の御字、(略)砂長じて巌となるの頌」とある。
(参考文献:「天皇・天皇制をよむ」東京大学出版会/2008)

仮名序や真名序を書いた古今集の選者たち(紀貫之ら)は、
どういう意図で、この
わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで
という歌を賀歌22首の先頭にもってきたのでしょうね。

やはりもともとの由来は「君=天皇」なのだ、と考えるのが
ごく自然な感覚だと思われます。

私には「天皇のことではない」と決めつける理由が分かりません。


■戦前の教科書

小林氏は「君」を「天皇」と教えるのは日教組の教師だといってますが、
では戦前戦中の教科書ではなんと教えているか。
「君が代」は、「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は千年も万年も、いやいつまでもいつまでも続いてお栄えになるように」という意味で、まことのおめでたい歌であります。私たち臣民が「君が代」を歌うときには、天皇陛下の万歳を祝い奉り皇室の御榮を祈り奉る心でいっぱいになります。(「尋常小学修身巻4」1937年)

「天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年もつづいておさかえになりますように」という意味(「初等科修身二」1943年)

戦前の教科書は「君=天皇」と教えていますね。
当時の教師は日教組だったのでしょうか(笑)
「君=天皇」と教えるのは日教組の教師だというのは単なる妄想です。


■現在の政府の解釈

国旗国歌法が成立したときの答弁を紹介します。
「古歌君が代が明治時代に国歌として歌われるようになってからは,大日本帝国憲法の精神を踏まえ,君が代の「君」は,日本を統治する天皇の意味で用いられました。
日本国憲法下においては,国歌君が代の「君」は,日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており,君が代は,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり,君が代の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え…」 (平成11年7月21日  衆議院内閣委員会  内閣総理大臣)

文部大臣や内閣官房長官も同様の答弁をしています。
彼ら(自民党出身)は日教組なのでしょうか(笑)

というわけで、明治時代に国歌として採用されたときから現在まで、
国歌「君が代」の「君」はずっと「天皇」なのです。
戦前も戦後も「私の敬愛する人」などという解釈は存在しません。

だから小林氏が、
「君が代の「君」を「天皇」限定だと思い込んでいたことは、
大きな大きなわしの過誤だった」
というのは、過誤でもなんでもなかった。

国歌「君が代」では「君=天皇」限定なのです。


■和歌と国歌

和歌としての「君が代」は時代によって意味も変わるなどして、
天皇限定ではなく「自分の敬愛する人」の長寿を祝う歌にもなりますが、
国歌としての「君が代」は天皇限定なのです。

小林氏は(たぶん確信犯的に)
和歌としての「君が代」と、国歌としての「君が代」を混同させている。
しかし、引っかかってはいけません。

「君が代」と、「君が代」は、同一ではありません

当たり前ですよね。
もうそれは自由な解釈が許される、単なる一芸術作品ではないんです。


◯戦前の教科書は「君=天皇」と教えている
◯国の公式見解も、明治以来「君=天皇」である
◯国歌に採用以来「君=自分の敬愛する人」という解釈は存在しない


それでも国歌「君が代」の「君」は
天皇ではなく「自分の敬愛する人」だ、と思いますか?


思うのは勝手ですけど、国はそんな解釈していません。
そのことは知っておくべきでしょう。
小林氏の妄想に振り回されてはいけません。

客観的事実を知るべきです。


■「規律」を守る
(P11欄外)
「公共心」を代表する「国旗・国歌の尊重」を教えることすら罪悪視し、「自由」や「権利」だけを教え込めば子供は「規律」を守るという感覚を身につけられない。その結果、沖縄では小学生の飲酒が社会問題化するという事態まで起きている。

笑っちゃいます。

「自由」や「権利」だけを教えたら「規律」を守れない人間になる?
「国旗・国歌の尊重」を教えたら「規律」を守れる人間になる?
え? 小学生の飲酒問題の原因は「国旗・国歌の尊重」を教えないから?

そんなアホな!

何を根拠にこんな結論を導き出したのか
小学生の飲酒問題と「国旗・国歌の尊重」に何の関係があるのか?

「規律」を守れない原因は、すべて「国旗・国歌の尊重」がないからですか?

じゃあ自衛隊員の不祥事や、自民党議員の不祥事なんかも
国旗・国歌を尊重していないから起きるんですか?

全国で起きる未成年の飲酒問題、麻薬やいじめなんかも
ぜ〜んぶ、「国旗・国歌の尊重」がないからですか

小林氏は沖縄の教育が気に入らないのでしょう。
だから何か問題が起こると教育のせいにしたいのですね。
だけどそこに何か根拠があるわけでもありません。
ただ「こうであったらいいな」という彼の願望が入った妄想です。

まぁ、こんなことをわざわざ書かなくても、
普通の感覚を持った人なら誰でもすぐおかしいと分かることですが。

こんな適当に物を言う人が書いた本を、素直に信じられますか?
この作者は、きちんとしたことを書いていると思いますか?
信じてしまっていいのですか?


ちなみに、
私は小・中・高で「国旗・国歌の尊重」を教わっていません。
「君が代」も学校内で流れたことは一度もないと思います。
朝礼で国旗掲揚など見た記憶もありません。
(北海道でも沖縄でもありません。関東の学校です)

それでも一応「規律」を守れる人間になっていると思っています。
しかも「日の丸」は好きです。
これは小林氏と同じ意見だけど「シンプルで美しいデザイン」で目立つ。
世界の国旗のなかでも「日の丸」が最高だと思ってます。
「君が代」もべつにいいと思っています。

ただ、強制はするなということです。

日の丸に頭をさげなければ処罰されるとか、
君が代を声を出して歌わないと処罰されるとか、
君が代演奏時には起立しないと処罰されるとか、

そんな世の中には絶対反対だということです。

これじゃあ全体主義国家と同じですよね。

続く
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